その十三 御入定

お大師さまは、苦行と勉学の青春時代を送られたあと、命がけで唐に渡り幸いに恵果和尚にめぐり合うことができ、真言密教のすべてを授けられました。日本に帰られた後は、この密教による修法によって、国家の平安を祈りつづけてこられました。また、唐で得られた新しい知識を使いこなして、文学・美術・工芸・土木に輝かしい業績を残され、「日本文化の母」と呼ばれるにふさわしい活躍ぶりを示されました。
ですが、国家的、社会的名声を得ることがお大師さまの目的だったのではありません。
出家へ、入唐へ、修法へとお大師さまを駆りたててきたのは、苦しみ傷つきながらも生きていかなければならない人間に対する熱い想いでした。人々とともに苦しみながらお大師さまは、その悩み、苦しみをいかにすれば除くことができるのかを考えつづけ、求めつづけられたのです。
「生まれ生まれ、生まれ生まれて、生(せい)のはじめに暗く、死に死に、死に死にて死の終わりに冥(くら)し」

とお大師さまはおっしゃいました。
肉体は滅んでも、また魂は別の生物として生まれ変わり、無限の輪廻(りんね)の中を生きていかねばなりません。この輪廻の中で未来永劫(みらいえいごう)苦しみ悩まねばならない人々、この人々を未来永劫救うにはどうすればいいのか、お大師さまは考えつづけました。
最後に、お大師さまは、高野山に入定留身(にゅうじょうるしん)することによって、この救いを成し遂げようとなさるのです。
お大師さまは、少しの木の実と水だけをとって長い座禅に入られました。わずかに開かれた目元にはかすかな微笑みをとどめ、引き結んだ口にはこの禅定によって、未来際をつくすまで生きつづけようという決意が表われておりました。
お弟子さまたちは、言いつけ通り、座禅されたままのお大師さまを奥の院の岩屋の中に移されました。お大師さまの発する光によって急に明るくなり、お弟子さまたちは、その神々しさに打たれ、平伏し礼拝(らいはい)を繰り返しました。お大師さまは、「即身成仏を完成し、新しい永遠の生命を得て、生きたままの姿で奥の院に留まられたのです。
この「即身成仏」の威神力(いじんりき)によって、あらゆる場所に、あらゆる機会にご自分の姿を現し、悩める人の声を聞き、苦痛を和らげてあげることができるのです。
時に承和二年(835)三月二十一日。お大師さまは六十二才であられました。

写真  奥の院 御廟

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